攻守要のPlay”ER” 友田景さん

25歳のとき、大阪府柏原市の最年少議員に当選。
31歳から東京にある経営コンサルティング会社で働き、41歳からは石川県七尾市に拠点を移し、昨年11月には能登DMC(※)合同会社を立ち上る、という異色のキャリアをお持ちの友田さん。
そんな友田さんが環境問題やサステナブルを意識したきっかけは何だったのか?地域とサステナブルの関係とは何か、お話しを伺いました。

挫折から立ち上がるなかで気づいた
自らのアイデンティティ

ー 異色のキャリアをお持ちの友田さんですが、これまでどういったご活動をしてきたのでしょうか?

原体験からざっくり説明しますと、僕はもともと野球少年で、当時メジャーリーガーを本気で目指し、甲子園出場校からスカウトされたくらい野球にのめりこんでいました。

少年時代の友田さん

ところが中学2年生のときに腰を痛めてしまい、そこから野球人生への夢が途絶え、何のために生きるのか?何のために高校生をするのか?と夢無しさんになりました。なので、中学生のときから、聖書・論語・宗教本や自己啓発本を読んでいて、かなり変わった高校生だったかと思います(苦笑)。
日本の高校に行っても意味がないと思い、アメリカへ留学することにしたのですが、世界各地から集まった同年代たちは、決まってみんな、自分のお国自慢を始めるんですよね。ところが、当時17歳の友田景にはそういうのがなかった。大阪人としてのアイデンティティはあっても、日本人や地元・柏原人としてのアイデンティティはない。そうした自分のアイデンティティがない、と感じたのが当時最大の疑問であり、今のキャリアを形作っています。
帰国後、日本で大学生になりました。当時の留学仲間が日本に遊びに来ることがあり、「どこにいきたい?」と尋ねると、「豆腐料理が食べたい」や「お寺で座禅体験をしたい」など、ここでしかないものを求めるんですよね。そこから、”ローカリティ(地域性)”というものが、実は一番インターナショナルに通じるモノなのではないか、ローカリティを残さなければ、グローバル化が進むなかで日本は生きていけないのではないか、と考えるようになりました。
そうしてローカリティを守る仕事を、と考えたときに、当時は政治の世界に行きつき、25歳で柏原市の市議会議員になりました。そこから様々なご縁があったのですが、昨年11月、能登DMC合同会社を立ち上げる、というところへと至っています。

ー なるほど、ご自身のアイデンティを苦しみながら探す中で、世界へ飛び立ち、外から日本を見ることでローカリティの大切さを知ったのですね。

はい、逆を言えば自分にないからこそ、その欠けたものが大切なのではと思いました。
能登DMC合同会社では、「旅を通じて能登の持続可能性を高める」ということをミッションに据えていまして、例えば朝3時から牡蠣漁を体験して、漁が終わったら漁師さんと一緒に朝ごはん(漁師飯)を食べるというツアーなどを提供しています。

牡蠣料理体験ツアーの様子

ローカリティに必須な、地域のサステナブル

ー 環境問題を意識するしたきっかけは何でしょうか?

2つあります。

1つは、先のローカリティを維持する上で、環境がとても大切なのです。
能登の里山里海が世界農業遺産に認定されていますが、能登にある仕事の多くは、環境面に依存しているビジネスがとても多いと感じています。
例えば、お米と大麦のみという昔ながらの製法で水あめを作る会社があるのですが、某メディアで取り上げられ、ものすごい量の注文が殺到しました。当時注文の仲介も担当していたのですが、そのとき「あんたら、私らを殺す気か」と言われました。生産者の彼らは、日々、能登の自然や四季を味わいながら、9時~17時で働く仕事をしたい、生活をしたいと思っていました。儲かるから、と機械を入れて、1億円稼ぎたいと思っていないのです。なので、急に注文が殺到し、この数のオーダーにはすぐに対応できない、として、半年以上、注文を待たせる対応をしていました。自然のスピードと共に、自分たちのペースで生きていく、そういう生き方を望む彼らを見て、無理にビジネスを大きくしていくことが、必ずしもサステナブルなことではないのでは、と思うようになりました。そういうビジネスを残していくことが、自然の豊かさの維持にも繋がるのでは、と思っています。

もう1つは、能登の特徴である”半島”を生かして、尾崎半島(岩手県釜石市)・唐桑半島(宮城県気仙沼市)・能登半島(石川県七尾市)・大隅半島(鹿児島県錦江町)とで、半島同盟を組み、イベントなどをやってきたのですが、半島の素晴らしさ≒自然の素晴らしさにあることです。

能登半島からの景色

半島には海があるだけでなく、里海・里山の豊かさがあります。両方の豊かさを享受でき、それらよって育まれた文化やビジネスはとても尊く、色んな意味でポテンシャルがあるものだと感じています。
地域や能登に関わることで、社会と環境の健全性・持続可能性がないと、ビジネスとしても生きていけないと思うようになり、サステナブルである、ことをとても強く意識するようになりました。

ー 友田さんは七尾市で事業承継も手掛けられていたんですよね?

はい、2021年3月末までは、石川県七尾市の七尾街づくりセンターというところの戦略アテンダントとして活動していました。七尾市は創業支援を頑張っているものの、毎年約70社ずつが倒産・廃業などにより減少しています。国のデータによると、毎年廃業している会社の28%が、経営状態は悪くないのにただ“後継者がいない”という理由で廃業しています。そこで、『七尾市全体で後継者を募集しています!』という形で、事業承継者のコーディネーションなどに帆走していました。他方で、戦略アテンダントの任期が終わり、なかなか後継者も見つからないことから、七尾の友人共に、事業承継に関する会社を別で立ち上げました!この事業承継を進めることで、少しでも廃業者数に歯止めがかかり、ローカリティを守ることに繋がればと思っています。

大切な人たちと、地域・自然を支える仕事を

ー 今後は、どのような活動をする予定でしょうか?

僕は、大都市や大企業がマジョリティであるとすれば、ローカルや中小企業、NPOなど、マイノリティに対して関わる時間を人生で増やしていきたいと思っています。
さらにローカルでいえば、ローカリティ・働く人・資源、の三方良しを目指しています。地域でのビジネスは、地域の文化をどれだけ尊重するべきかがとても重要なポイントであると考えており、常に本当に開発が必要なのか、を問い続けています。
また、僕の価値観になりますが、仕事であっても人生であっても、「何をやりたいか?」ではなく、「誰と行動するのか(働くのか)」が大事だと思っています。例えば、ただゴミ拾いしましょう、だとしんどいときもあるかもしれないですけど、大好きなパートナーとゴミ拾いをする、となると楽しかったりすると思います。
大好きな人と能登に来ていただき、能登ならではの時の流れに身を任せ、能登にしかないサステナブルを全身で感じてもらえればと思います。



●取材を終えて
15才当時の友田景さんは、大阪人の30%、日本人0%、柏原人0%というアイデンティティだったようですが、現在45才の友田景さんは、大阪人33.3%、日本人33.3%、柏原人33.3%と絶妙なバランスでアイデンティティを持てるようになったと、少し目を細めて嬉しそうに話していたのが、印象的でした(七尾市は、アイデンティティに加えるにはおこがましいらしく、ヨソモノの目線で地域に関わっていきたいとのことでした。)
日本人ならではのローカリティに注目するなかで、誰に言われるまでもなく培われてきた、ローカリティのなかにある”人と自然のサステナビリティ”に気づき、そしてそれを代々受け継いできた地域の中小企業を守っていく。友田さんは、地域において、まさに攻守要の存在としてこれからもご活躍されるのだろうなと、とてもわくわくしました。

あなたも、能登のサステナビリティに触れながら、自らのアイデンティティや日本のサステナビリティを探求していくのは、いかがでしょうか?

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https://noto-dmc.com/


(※)DMC:Destination Management Company(JTB総合研究所より)
『地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人』